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  • 2018/2/21

    シャネルの香水「№5」が世界的な大ヒットとなった事により

    この香水事業の成功は莫大な利益をもたらすと共にデザイナーとして経営者として

    シャネルブランドの確立と経営を安定させたとも言われています。

    またこの頃発表した「リトル・ブラック・ドレス」はシャネルの代表作となります。

    黒一色の服は当時喪服とされていましたがシャネルが重視していた機能性も抜群で

    質素倹約の時代が追い風になりこれもまた代表作になります。

    こうしてシャネルのファッション哲学は女性の社会進出のシンボル的存在ともなりました。

    各部門の事業は大成功を収め大企業へと発展していったのです。

    この次はあのシャネルスーツについてです。

     

  • 2018/2/16

    シャネルの香水№5はマリリン・モンローが

    インタビューで「シャネルの5番を5滴つけて眠っているわ」

    答えたことで一躍有名になりましたよね。ロシアから亡命してきた天才調香師の

    エルネスト・ボーとの出会いから生まれた№5はシャネルが普通の女性がつけられるように

    バラやジャスミンをベースにした当時としてはり斬新的な香りでした。

    サンプルの5番だったことから「この香水の名前は№5にしましょう」と決まったそうです。

    シャネルの№5は世界中で大ヒットし香水の歴史を変えたといっても過言では

    ないようです。またシャネルはこの香水を売り出すために「香水をつけない女性に

    未来はない」との強気のプロモーションを行ったことでも有名だそうです。

    今でもシャネルの№5は世界中で人気を博していますよね。

    この次はシャネルブランドの確立についてです。

  • 2018/2/15

    順調に売り上げを伸ばしリゾート地のドービルに

    2号店をオープンしました。

    リラックスした雰囲気が好まれるリゾート地では伸縮性のある

    ジャージーの生地を使ったシャネルのドレスが大人気。

    ファッション誌でも大きく取り上げられ特集記事でも大評判

    でした。第一次世界大戦の中 戦場に行った男性に代わり

    女性が働き始めるとシャネルの動きやすい服がますます人気

    となりました。デザイナーとして経営者として大活躍の頃だったようですね。

    次はかの有名な香水についてです。

  • 2018/2/14

    さて歌手を目指していたシャネルは次々とオーディションに

    落選したため芸能界への道はあきらめました。

    この頃交際していたバルサン(将校)と共にパリ郊外へ

    移り退屈しのぎに制作していた帽子のデザインが

    センスの良さで瞬く間に評判になりバルサンの援助に

    より1909年パリ17区マルゼルブ大通りにて

    帽子のアトリエを開業したのです。 シャネル29歳のときでした。

    大きなつばに大きな羽根のついたエレガントな帽子は

    「シャネル モード」と呼ばれ1912年頃には

    大流行しシャネルにとっても人生の転機となりました。

    次はその後の活躍です。

  • 2018/2/9

    シャネルといえばマトラッセと今や世界中で

    大人気のバッグですね。

    このシャネルについて歴史を振り返ってみましょう。

    ① 生い立ち

    本名 ガブリエル・シャネル 1883年8月19日 5姉弟の次女として

    生まれました。 12歳の時母が病死そののち孤児院や修道院で育ちます。

    18歳で修道院を出た後ムーランでお針子として働きます。

    「ココ」という名は愛称でお針子の傍らキャバレーで歌っていた歌の

    題名にちなんでつけられたそうです。

    意外にも暗く貧しい過去だったようですね。

    この次はシャネルの起業について振り返ります。

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